日本製が世界の舞台へ(大子那須楮、美濃手すき和紙が表彰状へ)

先日TwitterとInstagramでは報告いたしましたが、

現在開催されている(本日閉会式ですが)、東京オリンピック・パラリンピックの表彰状には、春馬くんが2020年+act 3月号で取材を行っている、茨城県大子町の大子那須楮を原料にして

日本製掲載の岐阜県美濃市で作られた「美濃手すき和紙」が使われています。


この表彰状は17600枚を2019年に美濃手すき和紙協同組合に依頼が来て鈴木理事長を中心に

17工房の組合員とその従業員、総勢40名が3交代で作り上げた「手すき和紙」です。


18日、大子町の大子那須楮保存会会長 齋藤さまの元、お話を伺いにお邪魔をさせていただき、まずそのお話を伺う事が出来ました。

実際の表彰状と同じ透かし技法で作成した賞状を手にとり私はとても興奮してしまいました。

今回のオリンピックについては、開催するしない、有観客、無観客など色々大変な大会になり応援、観戦する側としてもどうしてもやきもきしてしまう事が多かったと思います。

ですが、齋藤会長の

「東京オリンピックが開催されてほっとした」

という言葉の重みに「はっ」とさせられました。


裏で支える、様々な日本製企業さまがこのオリンピックが開催されるか否かで大きく状況が

変わってしまうことがあるんだということに気づかされました。

そして、私のオリンピックを観戦する見方が変わってきました。



この表彰状に使われる美濃手すき和紙について少し。


*参考:美濃の紙とは、本美濃紙(国重要無形文化財・ユネスコ無形文化遺産)

美濃手すき和紙・美濃和紙(伝統的工芸品:経済産業省指定)

機械すき・加工 → 美濃和紙(機械すき和紙)


美濃の紙とは、岐阜県美濃市の清流長良川の支流、板取川沿いの牧谷地区で

作られてきた和紙です。

福井県の「越前和紙」、高知県の「土佐和紙」と並び「日本三大和紙」のひとつに数えられます。

本美濃紙の手漉き技術は1969年(昭和44年)国の重要無形文化財に、2014年(平成26年)にはユネスコ無形文化遺産に登録されています。

美濃手すき和紙は表装の裏打ち、障子紙や美術紙、絵画の修繕にも使われているので世界的にも名のしれた「和紙」なんです。

その美濃手すき和紙の原料、那須楮とはなんぞやという事を今回、会長さまに少しお話を伺う事ができました。     


まず大子那須楮(だいごなすこうぞ)は、茨城県大子町で収穫されるクワ科の植物で、繊維が細く

短く艶のある和紙を漉くことが出来る植物です。

大きさは3mという高さになり、日々、こまめに枝を切り落としていきます。

そして枝が全くないまっすぐに伸びた幹を切り取り、おおきな窯で蒸します。

次に窯で蒸し上げたら、手早く皮をむいて、その後、表面の黒皮を小刀ではぎ取ります。

そうして美しい白い皮にしたら天日で3日くらい乾燥させて美濃市などに出荷され

美濃手すき和紙の原料となるのです。



主な作業は冬の間に何回も繰り返されます。

文字で起こすと簡単そうですが、それは相当過酷な作業で、この作業こそ、美濃和紙という素晴らしい和紙を支えているんですよね。


しかし、このように作業が楽ではないために、後継者問題もあるとおっしゃられていました。


そんな貴重な茨城県大子町で採れた大子那須楮で作られた美濃手すき和紙。

春馬くんが紹介した美濃手すき和紙がオリンピックの舞台に登場しているんですね。

本当に本当に、素敵な事です。


是非、選手の方々に、三浦春馬くんの「日本製」を読んでほしい。

そう思います。

私が伺った初夏の大子町は、山と川があるためか、とても涼し気でさわやかで、山と土の匂いに、

宮崎出身の私はどこか懐かしさを覚え、とても落ち着きました。

とても気持ちのいい季節でしたが、大子町は茨城県の中で一番暑くて一番寒い地域だそうです。

春馬くんも、この場所を訪ねた季節は真冬で、きっと緑は目にすることは出来なかったでしょう。

でもきっとこの土地を愛したに違いないと同じ景色を見ながら私は思いました。

春馬くんがこの場所を訪れたのは2019年12月26日。

短髪からすこし伸びた髪型だったそうです。

Two Weeks 太陽の子 天外者 ブレイブの撮影が終わった頃でしょうか。

2台の車で来た春馬くんは、いつ車から降りたのか分からないくらいオーラを消して、いつの間

にか隣にそっと立っていたそうです。

隣に並ぶととても背丈は大きいのに、

向かい合って話をしているときは大きさは感じられなかったとも。

本当に普通の青年だったそうです。

普通といっても、腰が低く、謙虚で、一生懸命で、人の話をゆっくりと聞く好青年だったと。

越前和紙にサインをしてもらおうとした時も、彼は一生懸命熟考し、何回も何回も新聞広告の裏に下書きをして書いたそうです。


時期的に、体験する作業が、蒸した楮の皮を刃物で割く。という作業だったそうですが、

春馬くんはすぐに覚え、普通ならばっさり半分に切り落としてしまうのですが、最初から綺麗に剥いていたそうで、齋藤会長ご夫妻も驚き、なんでも器用に出来る子だと関心したそうです。

楮を蒸す大きな窯の下で無邪気に写真を撮り2時間程滞在し、帰っていったそうです。

齋藤会長は、

「また逢えると、絶対に逢えると思っていた」と、

とても残念そうな顔をされた事が私には印象的で、同時に私も考えさせられました。

「彼のような俳優は、もう現れないかもしれない」とも。


私は笑顔で「はい」と答えるだけが精一杯でした。


齋藤会長ご夫妻を紹介していただいた、仲澤さまにもお話をお伺いしましたが

「春馬くんは子供の時から、普通の子どもとは違っていた。県をあげて本当に応援をしていた希望の星なんだよ」と聞かせていただきました。


春馬くんが愛した茨城県。

その茨城県にはこんなに素敵な日本製がある。

大子那須楮。

私はまた、この土地に絶対に来たいと思いました。

次は体を張って、お手伝いが出来ればと考えています。

もちろんそれは、一過性のものではなく、継続的にです。


春馬くんが愛した、日本製を、守っていきたい。

力不足な私ですがそう強く思う事が出来ました。

きっと春馬くんはこの大子町にも帰ってきている。

とても素敵な町でした。


2021年7月18日訪問

三浦春馬応援プロジェクト

新木康予

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